Act of Living

人間愛とひと匙の狂気

コンプレックスについて

コンプレックスが多いのが悩みだ。

その中身は身体的なことから性格や学歴、能力まで、多岐にわたる。

 

「辛い体験がほとんどないコンプレックス」なんて変わり種まであるから、自分で自分に驚いてしまう。

親が離婚したとか亡くなったとか、死にたいと本気で思ったとか、妻子ある男性を好きになってしまったみたいな経験がないということが、後ろめたい時期が確かにあったのだ。

面倒なことである。

別にそんな経験ない方が幸せでいいはずなのに。

何故か他人と比べて、あーだこーだ考えてしまうのだ。

 

 

ガーナの隊員仲間は圧倒的に年上が多い。

そこで「コンプレックス問題」について話したことがある。

「いや俺にもそんな時期があったよー」って声がちらほらあがった。

協力隊に応募してアフリカまで来ちゃう人たちだから、みんなgoing my wayで、いわゆる「普通」ではなくて、周りの目なんか気にしない振り切れている人たちだと思っていた。

だけど違った。

日本社会の中でもがいて、工夫して、だましだましでも、少しずつそのコンプレックスを乗り越えてきた、もしくはコンプレックスを抱えながらも、収まりがいいところをなんとか見つけてきた人たちだった。

だから今は「自分は自分」と割り切れているのだ。

そんな話がとても素敵で、歳を重ねるのも悪くないと思った。

今は散々このコンプレックスと向き合わなくてはいけないのだろうけど、そのうち吹っ切れるだろう。その先にある風景はどんなものなんだろう。

少し未来が楽しみになった

 

 

もう1つ、コンプレックスにまつわる忘れられない経験がある。

大学生の時に1年間、年齢も職業もバックグラウンドもばらばらな女性3人(入居前は全く知らない人だった)と、シェアハウスで生活していた。

20歳になってすぐの時に、誕生日祝いということで横浜の「ストリップショー」に連れていってもらった。

なんでそんな話になったのかよく覚えていないが、面白そうだから試しに、みたいな軽いノリだった気がする。

ストリップショーは衝撃的だった。

想像していたのは男性がセクシーな女性を見に来て興奮するみたいな場だったのだけど、心揺さぶられる実に芸術的な舞台だったのだ。

そう感じたのは、私が女だからかもしれないけど。

まず出演者はボンキュッボン、いわゆる世間が思うナイスバディの女性ばかりなんだろうと思っていたら、全くそんなことなかった。

4人のショーを見たのだが、皆それぞれ身体の特徴が大きく違った。

ふくよかで思わず触りたくなるような柔らかそうな肌の持ち主もいたし、スレンダーで三つ編みが似合う可愛らしい人もいた。健康そうな筋肉がしっかりついている女性には思わず見とれてしまった。

大きな胸の人も小さな胸の人も、皆美しかった。

初めて「あー人間の身体って美しいんだな」と思った瞬間だった。

いわゆるコンプレックスになりがちな身体的特徴が全くマイナスには見えず、とっても光っていた。

そして舞台の上で堂々と身体を見せる出演者をとても尊敬した。

なんだか自分の考えていた悩みがちっぽけに見えて仕方なかった。

 

そんなこんなで、それでも今日も飽きずにコンプレックスに悩んだりするのだけど、大丈夫。

少しずつ乗り越えていこうと思うのでした。

 

 

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ガーナは雨季へ移行中。季節の変わり目の空は美しい。